2013年11月6日水曜日

小規模学校に子どもを通わせるある親の気持ち その7

その6からのつづきです

この文書自体は、とても大事なことで、私たちが子どもが教育を受ける権利を保障するものです。当然なくてはならない書類なのですが、いざこの書類に印を押す、ということは、今まで椋川の人が大切に守ってきた学校を無くしてもいいですよ、と判断することに違いはありません。(形を変えて残るわけですが・・・)

たしかにこの段階では、「廃校にしてECC学園高校を誘致する」という集落内での合意もできていましたが、こんな大事な事の、しかも結論が決まっているのに最後に必要なのがボクのハンコかっっ?!

その6で割愛しましたが、椋川分校の歴史に少し触れさせてください。
椋川分校は昭和53年に建て替えられましたが、平成元年から生徒数がゼロになり、休校状態となりました。その後平成6年頃に、椋川分校の裏山が「椋川山の子学園」キャンプ場として整備されてキャンプ場の避難施設として、また今津町や近隣の小中学校の林間学校の会場としても活用されてきました。その間もずっと椋川区婦人会が月2回の割合で校舎の清掃、整備を続けてくださっていました。椋川の先人が作った学校を大切にしよう、子どもが来たらまたここで学んでほしい、そういう気持ちがこもっていたのだと思います。ECCの方が来られて、校舎を見学したときにあまりのきれいさに「本当に20年も休校だったのですか?」と言わしめるほどでした。本当に本当に大切にされてきた学校だったのです。

そいて、いよいよ椋川に子どもができて、子どもの声が響き渡るか・・と思いきや、そうとはならず廃校になってしまう。椋川の歴史と住んでいる人の思いがつまった学校を、地元で育ってもいないよそ者のハンコで決まってしまう。。。

地域の人の同意がすでにあったとしても、本当にこれは辛かったです。
現に、女房は「絶対に印は押さない。押すならあなたが押してね」と言いだし、これに関しては口もきいてくれませんでした。
最終的には、私が印を押すことになるのですが、これは今でも不幸な思い出として刻み込まれています。いくらECCが学校として成功して、椋川が元気になったとしてもしこりのように残ると思います。

それにしてもこの書類、地区全体の人からとか、該当地区の区長全部からもらうとか、そういう形にならないものでしょうか・・・。こういう書類には2度とハンコを押したくないです。

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この「小規模~」シリーズは、学校の統廃合の是非を訴えるものではありません。

小規模学校では何が起こっているのか、
小規模学校を抱える地域では何が起こっているか、
そこで学校に子どもを通わせている親の気持ち、
そして可能な限り子どもの気持ち、
などなど、をみなさんに知って頂きたいのです。

小規模学校の問題は、じっくり呼んで頂ければ小規模学校だけのことではない、という事がわかっていただけるのかなぁ・・・と思っています。

まだまだ続きますので、おつきあい頂ければ幸いです。

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